迷 宮 臼木直子

 ロンドンの元尼僧院だった建物で。世界中からの観光客が途絶えることのないミラノ、ヴィットリオ・エマヌエーレ2世ガッレリアの中で。そして、韓国、クァンジュ光州の地下鉄駅構内で。ーかつて人々が祈り、今も行き交う、確かに人の存在や生活があり続ける場所―山本基が塩の迷路《迷宮》を描いてきた建築内部の床や、大地のその場所は、近年、国内外のプライベートなギャラリー空間から、よりパブリックのサイトへと広がりを見せている。大量の塩を用い、竜安寺の石庭や砂曼荼羅を彷彿とさせる山本の緻密な塩の迷路は、時に、その奥に巨大な塩の堆積を伴い、全4日間、日におよそ10時間を制作に費やし24?の床を埋め尽くしたものから、ガッレリアの開放的な空間に、天井からの雨漏りをも作品に取り込みながら描いたものまで、空間の特性に応じたさまざまな大きさや異なる表情を持ちながら、どのような場所をも静謐な儀式空間へと変容させる。

 悪性脳腫瘍による実妹の他界という私的な体験を契機とし、言わば、妹への鎮魂歌となるようにとの想いを込めて、葬儀など日本の死の儀式や慣習に不可欠で、死を含意する物質である塩を素材に、山本は制作を始めた。塩で迷路を描くことは、山本にとって、時と共に薄れ、移り変っていく記憶の核心に触れるための、彼自身の記憶を辿る旅のようなものなのだという。塩の迷路の行き着く先は必ずしも制御できず、山本の心の動きや体調といった精神的・身体的要因に加え、床面の凹凸や湿度などの物理的な制約や制作環境の影響を受け、必然と偶然とが複雑に絡み合いながら、作家の意図と無関係な角や途切れた線を時として生み出す。作品の完成後、記憶の源に容易には近づけないことを承知しながらも、「死と自分との距離」を振り返るように、山本の心は静かに塩の迷路を遡行するのだ。

 塩の迷路が描かれる舞台が拡張し、時空を超えた人間存在の記憶が封じ込まれるようになるにつれ、当初、山本の個人的な機縁から用いられていた塩が、普遍的な生命の痕跡を表現するものと見なされるようになり、今や《迷宮》は、作品としての自律性を獲得し、その意味を深化させながら、生命存在の記憶を閉じ込めた宇宙的な造形へと昇華したように思われる。つまり、「生命の記憶」を内包する素材として山本が捉えている塩は、数え切れないほど沢山の生命の痕跡を抱合し、塩の迷路は、生と死の記憶を循環させるこの世界のプロトタイプ原型を私達に指し示しているのである。《迷宮》は、命あるものは必ず朽ち果てる、という人類にとっての揺るぎない真理を喚起させながら、逆説的に、私達に生そのものを力強く意識させる。吸い込まれるほどの透明感を持つ白い生命の迷路は、ポジティブな気を発しながら、見る者の身体に生き続ける力を漲らせてくれる。

インディペンデントキュレーター
臼木直子

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