会期;2004年6月1日(火)~12日(土)
会場;Gallery ART SPACE
東京都渋谷区神宮前
企画;Gallery ART SPACE 篠原 誠司
作家;青野文昭/阿部尊美/井上夏生+平原辰夫/扇千花/淤見一秀/木村恭子/國松万琴/坂本東子/佐藤由美子/菅野まり子/タカユキオバナ/田通営一/中野愛子/成平絹子/西尾彩/菱山裕子/藤井信孝/藤本京子/福田尚代/福本浩子/森山恒逸/山本基/ほか
「アーティスト・ブック」や「ブック・オブジェ」といった「本」の形式をもとにしたさまざまな表現を網羅することで、その表現の可能性を探るという主旨によって企画された展覧会。作品はすべて新作で「本」の概念あるいは形式をもとにした表現を制作の核に含む美術家や、「本」との関わりの中で制作を試みて欲しいと考えた美術家約20名が参加しました。
コンセプト
今現在、日本で行われている、「アーティスト・ブック」や「ブック・オブジェ」といった「本」の形式をもとにしたさまざまな表現を網羅することで、その表現の可能性を探るという主旨によって企画された展覧会。作品はすべて新作で、「本」の概念あるいは形式をもとにした表現を制作の核に含む美術家や、「本」との関わりの中で制作を試みて欲しいと考えた美術家約20名に、30×24×12cmもしくは22×22×22cm以内というサイズ規定の中で出品を依頼し、それぞれ個別に制作プランを話し合いながら企画を進行させる一方、同様のサイズ規定をもって作品の公募を行い、寄せられたさまざまな制作プランの中から20名ほどを審査で選び、両者合わせて約40名分の「本」を起点にした作品によって展示が構成される。
私は「アーティスト・ブック」について、アーティストのエッセンスが詰め込まれた持ち運びのできる小宇宙であると考えている。つまり、平面作品にとっては紙などの上に表現された数百枚のイメージを一まとめにすることも可能であるし、ページの無いオブジェとしての本においても、「持ち運びのできる知識の小宇宙」という幻影をまとった本自体の特性が、大作にもひけを取らない存在感をアーティスト・ブックに与え得るのである。アーティスト・ブックは、1960年代にその概念が確立されて以来さまざまな美術家の手によって制作されるようになったが、かくも多くの芸術家が本の形に魅せられてきたのも、こうした理由によるのではないだろうか。
またアーティスト・ブックの魅力については、以前ある美術家から、制作の過程で本の「厚み」が積み重ねられてゆくことに対して軽い興奮をおぼえるということばを聞いたことがあるが、こうした感情について本の作品をつくる側から考えてみると、その興奮は、自身にとっての世界の観え方がページの中に折り重なって「小宇宙」が築き上げられてゆくことへの高揚感がもとになっていると思われる。それに対して、作品と相対する私たちは、完成した「本」の姿から作者の世界観が積み上げられてゆく過程を逆に遡って想像することによって、本という小さな空間の中に内在する世界の広がりを無意識の内に感じ取るのではなかろうか。
ところでアーティスト・ブックは、イメージやテキストあるいは表現者の思考や思想が表現されたページを束ねたものの他に、作品を本の形態に置き換えたり本の形態や概念自体を作品とした、いわゆる「オブジェとしての本」との二通りに大別できると考えられる。イメージやテキストを主とする作品は、20世紀のアーティスト・ブックの流れの中でも主流をなす存在であるが、これについては、大会場での個展にも匹敵する内容のものを携帯可能なサイズにまとめ得るということや、印刷ができる素材にイメージなどが表現される場合には、同じものを大量に複製し廉価で流布させることも可能であること、さらには、ことばを媒体とする表現や、他の表現者(装丁・製本家などを含む)とのジャンルにとらわれないコラボレーションを可能にするということなどがその利点として挙げられる。つまり、アーティストの表現のエッセンスを収めた「容器」と見なすこともできるこうした種類の作品は、「本」を模すことで備わるサイズや形態、素材の普遍性やその携帯性などによって、表現者と鑑賞者との関係においては、絵画や彫刻といった通常の美術作品に比べると格段に作品が所有し易くなるということや、表現者同士においては、ジャンルを越えたコラボレーションが行われる余地を広げることなど、一種のインターフェイスとしての機能を併せ持っているとも指摘するできるだろう。
一方「オブジェとしての本」は、ページを重ねてつくられる作品と同様に、「携帯可能な小宇宙」という特質を根幹に据えながらも、本の形態という拘束力を比較的受けにくい分、個々の美術家が本来持っている思想や表現の力をより直接的に表す可能性が高く、そこでは、たとえば普段制作する他の作品で用いてきたコンセプトや素材などを本の形態や概念の中に適用させることによって、一人の美術家のあらゆる作品に共通して現れる創造のための理念を一つの「ひな型」として表わそうとした末のものであるとも考えられるのである。
では、アーティスト・ブックに取り組む美術家はなぜ、単なるオブジェではない、「本」の姿を借りた作品をつくろうとするのだろうか。確かに本は「携帯可能な小宇宙」という大きな魅力を持っているが、それに加えて、アーティスト・ブックの中に表されるべき創作のための「概念」と、その「概念」がかたちとなって現れるための「物体」が出会う「場」としての性質を担っていることが、さまざまな表現者を魅き付けてやまない要素の一つであるような気がしてならない。
ここでいう「概念」とは美術家自身の世界観を、「物体」とはその「概念」を他者と共有し合うための媒体である「作品」を指しており、さらに作品が生まれる状況を両者が出会う「場」ということばで表しているが、美術家は訴えかけるべき理念にどのような形を与えて可視のものとするかということに常に力を尽くしており、そのための実に多様な手法が確立されている昨今では、表現の手段がそのまま作者のアイデンティティーを表す場合もあるといえる。そうした中であえて「本」の形式を選ぶということには、「知の集積」を象徴する本の姿を借りることで、創作のための自身の理念を作品に向かって「集積」あるいは「集約」させようとする意志を見い出すことはできないだろうか。また、「知」を象徴する存在としてそれ自体が元来普遍性をまとう「本」の形態を作品に取り入れることは、自身の世界観をどのような形で表現するかという造形上の大いなる重圧を軽減させ、制作行為の中にある種の充足感がもたらされるという仮説も十分成り立ち得るだろう。そして、「美術としての本」をめぐるこのような「満たされた」状況の中での創作は、美術家たちが自己の世界像のもとに構築した創造のための理念を、より強く明確なものへと磨ぎ澄ますのである。
ここまで、私が発行する批評誌「Infans」第5号(2001年1月発行)でのアーティスト・ブックについての特集「美術としての本」で書いた文章を下書きにして、「本」の形式を起点にした美術表現に対して常日頃考えていることを一通り述べてきたが、今回の「ABOVE THE BOOK」は、アーティスト・ブックに対するこうした私の見解をもとに企画されたもので、今現在、日本で行われている「本」を起点としたさまざまな表現を網羅し、さらには今後も広まり続けるであろうアーティスト・ブックの可能性を探ることを目指して開催される。この展覧会では、「本」の概念あるいは形式をもとにした表現を制作の核に含む美術家や、「本」との関わりの中で制作を試みて欲しいと私が考えた美術家約20名にまず出品を依頼し、それぞれ個別に制作プランを話し合いながら企画を進行させる一方、30×24×12cm以内もしくは22×22×22cm以内というサイズの規定をもって作品の公募を行い(上記の20名も同じサイズ規定に中で制作している)、寄せられたさまざまな制作プランの中から20名ほどを私が選んで、両者を合わせて約40名分の「本」を起点にした作品によって展示が構成される。
ここで展示される作品は、先に述べたような、制作のための概念をページに託して束ねたもの、あるいは普段制作する作品のエッセンスを「本」というかたちに置き換えたものなど、時には本来のアーティスト・ブックの定義を逸脱する作品も多く含みながら、「本」を起点とする表現のさまざまな在り方が、「概念」を重視する側と形態を重視する側の両面を覆って展観されるが、その一つ一つが制作者の世界観を示す「小宇宙」としてとらえることもできる作品と相対する中で、私たちは、「本」を起点とする美術の可能性だけではなく、造形そのものが今後展開してゆくその先の姿をかいま見ることもできるだろう。
Gallery ART SPACE 篠原 誠司