2002 臼木直子 美術手帖2002年7月号
砂紋か風紋のような塩の迷路が、ギャラリー空間の奥に雲海のように広がり、まるで思考を停止させるほどの白さの塩のマッスへと、吸い込まれるように続く。作家の心の移ろいを映し出すように、あるいはまた、床面の凹凸や湿度といった制作環境の影 響により、線は震え、角には表情が生まれる。展示空間は神々しささえ感じる、象徴的な、清めの儀式空間へと変容する。
古来より厄除け・清めの表象として、儀式の場面のみならず、世俗信仰と結びついた日常空間において、その生存の不可欠な食材として広く日本人の生活に浸透している塩。人間の生と死を巡る風景に深く根ざした塩を素材とし、まるで此岸と彼岸を結ぶかのような山本の塩の迷路は、死が私たちの傍らにつねに潜んでいることを示しつつも、その世界には容易に近づくことはできないことを、同時に、この世に生を受けただれでもが、最期の時へと着実に歩を進めていることもまた、静かに語る。その白に込められた清さと造形の反復は、氾濫する情報や仮想空間のなかで、あるいは、医療や学術の現場において置き去りにされかねない、本来、死の定義に伴われるべき人間の尊厳の重さを、塩の迷路を前にする者の身体に、強く働きかける。
情緒性や精神性といった、紋切型の日本的美意識の下で短絡的に解釈されるべきではない、その塩の迷路は、命あるものはやがて朽ち果てる、という絶対的な真理を指し示し、ではなぜ生きるのかの、普遍的な問いもまた、投げかけているのである。
インディペンデントキュレーター
臼木直子
個展 T.L.A.P, 東京