深まる「清め」の空間 ~鉄と塩、普遍の世界つなぐ~  今宮久志

1999 今宮久志 ”北陸中日新聞”

 山本基さんが25日まで、横浜市保土ヶ谷区のベリーニの丘ギャラリーで、個展「記憶への回廊」を開いている。素材は鉄板と塩。7年前の北陸中日美術展で大賞に輝いた平面 作品「生命?」から空間中心へと、作風が変化してきたと言えば言えるが、その底流に例えば「清浄」という一貫した者を感じる。その思いを抱き、作家を訪ねた。
 同大賞を受けた「生命?」には、だれかに抱かれた裸体の女性が描かれる。それは妹さんの発病がきかっけだった。当時の紙面 によると、山本さんはこう語っている。「ショックで、それ以来生とか死が身近な者になった。その自分の気持ちを表現したかった」と。画面 からは病気の平癒、死に隣りあわせた厳粛さが見える。

 その具象性がいつから、なぜ消えたのか。それを確かめるのも彼を訪ねた理由のひとつだった。丁寧にまとめられた作品ファイルによれば、94年の1月ごろとわかった。その時期というのは、妹さんがなくなったころと一致する。ファイルを見ると、一連の作品群から突如として人間像が見えなくなっていた。妹さんの生死は、山本さんに大きな影響を与えたのだろう。
 それ以後いわゆる抽象に転じ、空間を生かす作風になる。と同時に「般若心経」や「脳死判定の基準」など生死にかかわるテーマも取り入れ、精神性をさらに高めている。

 塩を取り入れた作品はさらに2年後になる。しかしその中間に位置するものとして、94年に金沢読売会館で発表した「存在94-45」を逸することはできない。薄暗い一室に廃材で円形を描き、その左右に枝、和紙、銅などを使った平面 を並べる手法。そういった材料もさることながら、中心部と左右に当てた光は重要に思う。そこに発つべき人物(宗教者あるいは、彼の妹さん?)へのスポットライトに見えたからだ。そして光が清らかさを数倍にすることも。何より左右に張り付けられた平面 の枝は、そういった効果を示唆しているようだ。
 そんな過程を経ての塩。塩をレンガ状に焼き固めて、アートフェスティバル鶴来で展示した「解放への序章」(96年)、「空蝉-うつせみ」(97年)、「記憶へ」(98年)。あるいは金沢市でのアートイベントin広坂に「記憶への回廊」。そして今回の横浜での作品など。

 塩は昔から、人間には欠かせない身近で大切な調味料。しかしそれだけではなく、日本人には清めの意味もある。相撲で土俵にまくのがよく知られている。そういうこともあるが、「材料としても奥が深い」と山本さんは話す。加工できるし、あの色、湿った冷たい感触が好きだそうだ。使って足掛け3年になるが「まだ飽きない」とも。

 それが固められて、端整に階段状に積まれる。そこに想像できるのは、俗世間からこの階段を通 じてつながる、もう一つの世界ではないか。横浜での作品は高さ2.3メートル、横5.5メートルある2枚の鉄板で両側で覆い、その隙間に塩の階段を延ばしている。塩の量 は2トン。「鉄板はタンカーを横から見た感じ。海へ出れば船は生活の場です。でも鉄板の遮断で見えない。そこを想像してもらいたい。」

 この階段、回廊を通って、だれかが一歩一歩別の世界に上がって行くのかもしれない。いや、下りてくるのかもしれない。塩という素材が一歩一歩を清めるように思えるのだ。作品にはそういった玄妙さが漂う。「初めは個人的な理由で使ったけど、いずれは普遍的なものにつながれば」。山本さんはそう話している。

今宮久志

1999 個展 横浜ベリーニの丘ギャラリー、神奈川

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